もう40年以上前の昔話。
まだ私が学生だった頃。
私の部屋に後輩が飛び込んで来た。「大変です。孝明天皇が刺し殺される映画をやっています」と。
孝明天皇“暗殺”説は根強くある。
学界では殆ど否定されているが、作家の中村彰彦氏などは、
令和の今も暗殺説を唱え続けておられる
(同氏は『WiLL』最新号〔5月号〕で、橋本博雄氏の新しい
暗殺説を紹介されている)。しかし、暗殺説は“毒殺”を想定しており、
刺殺なんて聞いたことがない。
映画の中では、賊が京都御所に忍び込み、
孝明天皇を刺し殺す場面が設定されている。
シルエットにしているものの、女官の悲鳴が上がり、
血飛沫が襖に飛び散って、凄惨この上ない。
いくら娯楽作品とはいえ、これは明らかにやり過ぎだろうと考えて、
抗議することにした。念の為に補足しておくと、当時は昭和時代だから、
孝明天皇との歴史的な距離感が、現代とはかなり違う。
同時代の天皇陛下(昭和天皇)の“ひいおじい様”に
当たる方だった。映画会社の本社に数名の仲間と共に出向いて、
社長に面会を求めた。
まだ学生で名刺を持っていないので、写真付きの学生証を示して、
「こういう者だが」と勿体ぶって自己紹介した
(今、振り返ると少し滑稽)。
勿論、社長には会わせて貰えない。
しかし、チーフ・プロデューサーと担当の課長に
会うことが出来た。
このチーフ・プロデューサーは、映画会社の“売り”だった
任侠映画の製作を一手に任せられていたようで、
態度もガタイ(体格)もすこぶるデカい。「それは君達の主観の問題だなぁ。
そんなの一々気にしていたら映画なんて作れないよ。
僕はねぇ、その辺、ズラッとヤクザに囲まれたこともあるけど、
一歩も引かなかった」とふんぞり反っている。
なかなか困難な交渉を予感させた。しかし、その頃、生意気盛りだった私は、
「ちょっと、おかしなことを言わないで欲しいんだけど。
僕達をヤクザと同じように見ているんですか。
それは侮辱ですよ。
今の発言はこの場で取り消して貰いましょう」
と食いついて、発言を撤回させた。
結局、同社の映画部門のトップと同作品の監督に
会えることになり、京都の撮影所に乗り込んだ。この時は、芸能プロダクションに勤めていた先輩から、
「関西に行くと、あの会社と繋がりが深い組関係者に
拐われる恐れがある。だから止めた方がいい」
と忠告を受けた(まだ暴対法も暴排条例も無い時代だった)。
しかし、若気の至りと言うべきか、せっかくの忠告にも
耳を傾けず、友人と後輩と3人で、
(貧乏学生で新幹線代もままならなかったから)
後輩のお姉さんから軽自動車を借りて、
颯爽と“会談”の場に赴いた。(短くまとめられなかったので…続く)
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